わたしと子どもの備忘録

育児、聴覚障害関連エピソードを載せています。

フレンドになることへの子どもの欲求と満足感

相変わらずゲームにハマっている子どもたちですが、少し前にリアル友達ではない人からのフレンド申請があり、「フレンドになりたい」と言われました。もうこれは言語道断のノーなのですが、子どもがプレイの様子を見てほしいというのでその録画を見てみると、スプラトゥーンの隅っこで2人でぷにぷにと遊んでいました。これが楽しく気が合ったのか、相手からフレンド申請があったようです。

 

相手の持っているゲームを確認すると明らかな小学生ですが、小学生の仮面を被ったおじさんかもしれないし、男か女かもわからないし、その辺のリスクを伝えてNGを出していました。

 

子どもは、「自分はリアルに友達を作るのは難しい。聞こえなくてうまく会話ができないから。でもゲームだとすぐ友だちになれる」と言います。たしかにそういうのはあるよな、と思います。そこで、「聞こえなくたって頑張って会話してリアルな友達を作るんだ!!」などと根性論を言うつもりもないし、子どもなりに自分の得意不得意がわかってきたんだなとも思います。ゲームならプレイの様子を見たりして、気の合う合わないはすぐ分かるんでしょう。小学生くらい大きくなると、近所の友だちを突然作るのは難しいし、小さいころ遊んでいた友だちとは学校も違うので疎遠になっていきます。付き合う友だちは年齢とともに変わっていくのは私も同じだし、「リアルが一番!!」とも思いません。

 

学校には気の合う友だちがいるし、習い事でも会話する仲間はいるようなので、現実は現実、ゲームはゲーム、だだその時はゲーム内で一緒に遊べて楽しかったんでしょう。

 

年末年始をおばあちゃんの家で過ごしていた間も、Switchと離れていたのに「フレンドになりたい」を言い続けており、夫と相談して半ば根負けという形でぶどうまる(仮)とフレンドになりました。

 

1ヶ月経ちどうなったかというと、一度だけぶどうまる(仮)とプレイしたようでした。年末年始あれだけフレンドになりたいと叫んでいたのに、なんだったんだろうという感じです。フレンドになるまでが最高潮で、もうなったらそれで満足するのは子どもらしいと思いました。

 

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子どもの枕元の明かりが寝る前の不安を払拭する

最近、寝る前に娘のマイナス思考で沼に陥るということは少なくなってきました。「夜は寝るもの!悩んだら朝考える!」と伝えていますが、それが効いてきたのか私に言いにくくなっているのか、ただ単に疲れ切ってバタンキューと寝てしまっているのかは分かりませんが。スッと寝てくれるので何よりです。

 

いつも子ども2人と私と川の字になって寝ていますが、聞こえない子どものために枕元には常に明かりを用意しています。口元を見たり手話をしたり真っ暗では会話ができないからです。もう寝るよーとなったときは枕元の明かりを消しますが、そうすると弟が話し始めます。今ハマっているゲームの話の説明を永遠としてくれ、全くわからない言葉が羅列していましたがウンウンと聞いていました。

 

するとお姉ちゃんが「今話してた?」と私に聞いてきました。「おお、よくわかったね」というと、私の肩に触れていた手が、振動でビリビリふるえたと教えてくれました。喉のあたりだけでなく、声で骨も振動するほどなのねと思いました。

 

弟と私の会話に入ることなく、その後すっと寝たお姉ちゃんですが、こういうとき会話に入りたいんだろうなーと思います。話をしている内容はどうでもいい話ですが、寝る前の会話は睡眠導入剤にもなりますし。もちろん、明かりをつけて子どもと永遠話しているときもあります。枕元の明かりを消しても、「なになに?」と会話に入ってくるときは、また明かりをつけたりします。

 

こうこうと天井ライトが付いていては眩しいし、でも枕元の明かりは結構重要です。

「見る」と「聞こえる」は当たり前だけど全然違う

手話サークルに通っていますが、最近思うことがあります。手話サークルに通っているろう者の中には、発表や会話を見ていなかったり下を向いている人がいます。会話が始まっていることすら気づいていないのか、会話に興味がないのか、会話が面白くなかったのか、その辺はわかりません。が、「見る」というのは「聞く」に比べてハードルが高いなと思っています。

 

当たり前ですが、「聞こえる」という言葉の通り、自ら聞きたくないことも聞こえてくるし、耳をふさがない限りその場にいればいいことも悪いことも耳に入ってきます。でも「見る」必要がある手話の場合、なんとなく見えてくることはありません。自ら情報を取りに行こうと見なければ、トントンと肩を叩いてもらわない限り気づかないわけです。

 

私は子どもに話しかけるとき、トントン肩を叩いたり、床をどんどん鳴らしたり、机をコンコン叩いたり、電気をつけたり消したりして、「話すから見て」と視線を合わせてから会話を始めます。親子なので、相手の機嫌など無視して呼ぶことができますが、手話サークルのろう者となると話は変わってきます。

 

個人の発表のような感じでサークルはすすみます。以前私の発表の時、ろう者が下を向いていたので、両手をブンブン振って「話しますよー」といっても、気づいてくれませんでした。するとサークルの中心の人が「見てないからいいよ」と言うので、私は話し始めました。私の話の内容がおもしろいかどうかはさておき、それ以前に周りが情報を伝えるかどうかを判断してしまうのは怖いなと思いました。私の話を聞いて下を向いたのなら、聞く気がなかったでいいのですが、話していることすら気づかない、というのは聴覚障害あるあるだなと感じました。アンテナを常に張り続けるのは難しいし、仕方ないのかなとも思います。

 

まぁでもこういうことは多いです。すべての情報を100%伝えることは不可能です。子どもを見ていても半分以下の情報量だろうなと思うことは多いです。家庭内で私の影響が及ぶ範囲では、嫌なことも伝えるべきと、弟が言ってくる暴言をわざわざ私が伝えたり、夫が言う憎まれ口をいちいち私が伝えたりしています。もちろん、子どもは不機嫌になります。でもそう言われていることすら気づかないことのほうが嫌だなと、家の中に限っては私は思います。

 

 

 

 

 

これだけ手話が普及し、認知度も上がり、理解も進んだ今ですが、聞こえる人にとって話しやすい聞こえない人というのは、口話が理解できるろう者なのではということです。聞こえる人は、聞こえない人が口を読めることを期待しますし、伝わらないときは口形をしっかり見せてということをします。でもそれは聞こえない側が口話を理解している必要があるので、やはりろう者側への負担は大きいなということです。

 

 

音声認識アプリの認知度が上がってきた

音声認識アプリの認知度が上がってきた気がします。ドラマ「Silent」の影響か、企業努力の賜物か、聴覚障害者への理解なのか、理由は色々あるかと思いますが。こえとらやUDトークが有名どころですが、一年前主に病院でそのアプリを使うと「こんなのあるんですね」と驚かれたものです。

 

今回病院へ行った時、予め筆談をお願いしていました。問診票の備考欄に、耳が聞こえないので筆談をお願いします、と一言添えます。以前は白い紙に文字で書いて医師と子どもでやりとりをしていました。が、今回その医師は、自らのスマホ音声認識アプリを立ち上げてくれました。リロードになって進まなかったので、私の「これとら」を使いましたが、医師も声が文字になることを理解しておりスムーズでしたし、子どもも文字になった質問に対して声で答えていました。

 

病院は正確性が物を言いますし、もう小学生ですから簡単な受け答えは本人ができることが理想です。最初から最後までこえとらでやりとりができ、親としてはとても感慨深いものがありました。すごいぞ!

 

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ドラマ「デフ・ヴォイス」をろう児が見たら

手話界隈で大盛りあがりの「デフ・ヴォイス」ですが、子どもが一人見る前に私が検閲しました。検閲というと言い過ぎですが、過度な差別表現とか悲しい描写があると、無駄に傷ついたり、手話って笑われたりするのかと過敏になったら嫌だからです。まだ子どもなので、社会の厳しさを教えたる!みたいな意識は全く無く、何も感じ取ってほしいものはありません。

 

私個人が見た感想は、悲しい場面や切ない場面、実体験と重なる場面も多く、切なく思う部分は多かったです。ろう俳優さんたちが熱のこもった演技をされていて、かっこいいなと思いました。出てくる手話もゆっくりと配慮されているのかわかりやすく、弟も「こう言ったんでしょ」と理解している場面もありました。弟よ、すごいぞ!

 

SNSでは、コーダの役はコーダが演じるべきとの厳しい意見もありましたが、夜のドラマで視聴者を広げるためには草なぎくんという確固たる主役は必要だったと思いました。しっかり手話で演技をし、やさしい表情でよりそう演技は、いいなと思いました。リアリティを求めるならノンフィクションでいいし、あれは原作のあるドラマなわけですから、エンターテイメント性も必要です。草なぎくんという主役がいて、周りを実際のろう俳優が固めて真実味を持たせるというのは、すごいと思いました。知名度の低いろう俳優や仮にコーダ俳優が出演するというだけでは、ここまで盛り上がらなかったと思います。ろうへの知識や興味がない人にも届く「ドラマ」を作るために、素晴らしいキャスティングだと私は思いました。

 

そして検閲の結果、見てもいいんじゃないと思い、ろう児と一緒に見ました。じっくり集中してみていましたが、「聴覚障害者が冤罪で投獄される」という場面にビビっていました。子どもは冤罪があることを理解しており、それが聴覚障害者だったことから、自分が捕まったらどうしようと言っていました。まず疑われるようなことをする大人にはならないですが、百歩譲って捕まったとして、そうしたら自分は無実であることをしっかり伝えればいいんだよ、と答えました。

 

中途失聴者弁護士役の方も出ており、それもいいなと思いました。独特の喋り方をしますが、伝わりますし、努力の結果弁護士になったエピソードはうんうんとうなりました。最後「司法試験に合格したあと、母にこれで耳が聞こえればいいのにと言われた」というセリフが胸をえぐりますが、ここでタイミングよく子どもはトイレに行っておりよかったです。あそこのセリフだけは見なくていいと思いました。そんな事言われたら元も子もありませんからね、本人の努力。

 

手話を笑う若者や、健聴者と聴覚障害者を敵とか味方でくくるシーン、転んで泣いても気づかない母親、とかあるあるな場面も多く大丈夫かなと思いましたが、特にそこは言ってきませんでした。自分の障害が、バカにされたり笑われたり差別の対象になりえるということは、今知らなくていいと思います。周りとの違いは気づいて悩んでいる今ですが、あえてドラマで現実を突きつける必要もないと思っています。なので、後編は見せないかなーと思います。でも、今回のように子ども本人が興味をもって見たいといったら、また私の検閲後(大げさ)判断しようと思います。

 

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手話界隈でデフ・ヴォイスが盛り上がっている

ドラマ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」が手話サークルや手話界隈で盛り上がっています。今週の土曜日12/16と23に二夜連続のドラマがあります。原作はすでに読んでおり内容は知っていますが、ドラマとなるとまた別物ですし、ろう者をろう俳優が演じるというところが素晴らしいと思っています。

 

今まで、聞こえない人が出てくるドラマというのはありましたが、みな聞こえる人が演じていました。「愛していると言ってくれ」「オレンジデイズ」等。ドラマですから、視聴率が取れないと意味がないですし、どこぞのろう俳優が演じたところで、あまり注目はされません。ですが、時代は変わってきており、ろう者の役はろう者がやるべき!論争も盛り上がっていたので、この流れになったのかもしれません。たくさんのろう俳優が出演するようで、彼らの今後の活躍のチャンスになってほしいと思っています。こんな俳優さんがいるのね!と注目されるといいですね。

 

ちらっと見た予告で号泣してしまうシーンがありました。コーダ役の草なぎさんとろう者がファミレスで話している時、別席で「どうせ聞こえないから」と手話をからかう若者がいました。でも、コーダである草なぎさんは聞こえるわけです。その席へ行って手話で罵倒し、「どうせわからないでしょ」とろう者に伝えるという短いシーンです。でもこれを見てうおおおと自分でびっくりするほど涙がでました。普段ドラマや映画で泣くことはほとんどない私ですが、このシーンをたまたま見て、ティッシュが必要なほど泣いてしまいました。

 

私は手話を使いますが、聞こえます。なので周りの視線やぼそっと言う陰口は聞こえるわけです。子どもは聞こえないので、視線で嫌な思いをすることは多いですが。「その陰口や無理解な発言、聞こえてますよ」とキッと睨むこともあります。こればっかりはどうしても慣れませんね。手話を見たときの好奇な視線とか、じーっと見てくる人とか。無遠慮な視線は本当に傷つきます。マナーもモラルもないなと怒りも感じます。

 

手話で話をしている時、じーっと見られるのはとても嫌なものです。盗み聞きされてるのと感覚的には近いです。その視線や陰口、気をつけましょう。手話をしているからといっても、私のように聞こえている人もいますよ。

 

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息子の口癖ではなく流行語であると気づいた

今週のお題「マイ流行語」

 

8歳の息子が何かと「ひき肉です」「ひき肉です」を連呼していたのですが、youtubeか何かだろうとスルーしていました。あとよく「帰れば金麦」とか「よーく考えよーお金は大事だよー大事大事」とか呟いています。これは明らかにCMだろうと気づけますが。2023年の流行語大賞をネット記事で知り、息子が毎日毎日言っていたのはこれだったんだ!!と感動すら覚えました。そして元ネタが気になり検索しました。中学生youtuberだったんですね!幼さが残る男子感に愛嬌があって、母ちゃん目線で応援したくなります。youtubeを見るより作る方向に舵を切っており、素晴らしいです。

 

「ひき肉です」が息子一人のつぶやきではなく、世間の波になっていることを知り驚愕しました。友人の子供の運動会では、「棒引きです!」をひき肉風に学年全員で紹介したとか。私がその場にいたら完全にキョトンでした。知っているからこそ面白い、流行を知らないと笑えないというのは多々あります。

 

帰ってきた息子に、「ひき肉ですやっとわかったよ」と言うもつれない返事。これでしょ?と全力「ひき肉です」を見せても「うん」という感じです。聞くと、元ネタのひき肉は知らないそうで、クラスのお友達の真似でひき肉を連呼していたとのことでした。でも、元ネタを知らずじわじわ真似をするというのは小学生らしいなと思いました。そういう風に元ネタ→誰かが言う→真似をするっていう感じで流行していくんだろうなぁ、と感心しました。

 

一方、聴覚障害の娘はあまり流行に敏感ではありません。過去にろう者と話していて驚いたことがあります。40代女性ろう者とふと音楽の話になった時、彼女はサザンオールスターズの存在を知りませんでした。当然といえば当然かなと思います。音楽を聞く環境の人であれば、自分から取りに行かなくても耳に入ってくるサザンですが、ろう者の場合はふと耳にするということがないので、自分から関心を持って情報を取りに行かない限り入ってきません。流行のワードや歌手、はやりの音楽などは特にそうでしょう。

 

娘には、私が知った流行は教えたいと思っているので、早速「ひき肉です」を教えました。元ネタ動画を見せるも字幕がないので、「この子ひき肉ですって言ってるんだよ。中学生なんだって。今流行ってるらしいよ」というと、「へー。中学生なんてすごいね」という反応でしたが、私が熱く息子とひき肉ですを語っている様子を見て、真似るようになりました。「なんとかです」とアレンジしてポーズを取るように。おお!!と嬉しくなりました。

 

もちろん娘は「ひき肉です」を連呼していた息子には気づいていませんので、「最近ずっと○がひき肉ひき肉言っててさ、お母さん何かと思ったんだけどこれだった」と、最近の息子の口癖もついでに教えました。

 

あと同じようによく聞くけど誰が元ネタなのか知らないものに「なぁぜなぁぜ」があります。これについてはまだ元ネタを知りません。