わたしと子どもの備忘録

育児、聴覚障害関連エピソードを載せています。

春に飛ぶホワホワ綿毛の正体は?

5月になると、私の住む場所ではホワホワ綿毛のようなものが飛んでいます。綿毛といってもたんぽぽの綿毛ではありません。車を運転していても庭でもホワホワと舞っているこの綿毛、一体何でしょう?これ一体何でしょう?

 

正体を調べると、

春になると飛んでいる綿毛のようなものは、ポプラやヤナギなどの木から放出される「種子毛」や「果実毛」と呼ばれるものです。これらの木は、風によって種子を広げるために、軽くて風に乗りやすい綿毛状の構造を持つ種子や果実を作ります。これらが空中に飛び交うことで、遠くの場所まで種子を運ぶ役割を果たします。

木が種を飛ばしていたんですね。なるほどです。外に出るとホワホワ飛んでおり、特に川沿いなどよく飛んでいます。たんぽぽも綿毛になる時期なので、綿毛の時期なんですね、今は。

 

この綿毛には、ここ数年気づいていました。でも調べるまでに至っていませんでした。最近時間や気持ちに余裕が出てきたのかもしれません。

子どものお手伝いをポイント制にしたら

休みの日など、子どもにお手伝いをしてほしいと思っていますがなかなかうまくいきません。過去にポイント制にし、お風呂洗い30ポイント、トイレ掃除30ポイントとやっていた時もありましたが、今は下火になっています。お母さんが一人もくもくと布団を畳んでいるとき助けてほしいと思いますが、夫もスマホに夢中、子どもも漫画に夢中で気づいてくれません。察してと思いますが、言わなければ伝わらないよなと、それは分かってはいます。

 

最近息子はポケカ集めに夢中です。お友達でいいカードをもっている子がいるのか、何かとポケカ買いたいと言って、昨日は「銀行の5000円おろして」というので、「はぁ?!」となりました。手元にある己のお小遣いでなんとかせんかい!

 

ポケカは5枚入りが100円で売っているので、それを目当てに最近お手伝いをするようになりました。まだポイント制は廃止しておらず、冷蔵庫に貼りっぱなしだったので、この土日は「お風呂あらうよ、トイレ掃除するよ」とポイントを稼いでいました。まぁ休日でお手伝い終わるだろうと思っていると、学校へ行く今朝も「トイレ洗ってあげるよ」と言われました。私は「洗って『あげるよ』」の発言にカチンとし、ポイントがなくてもお手伝いしてほしいと伝えました。

 

お手伝い=ポイント制を始めたのは私です。お風呂洗い30ポイント、トイレ掃除30ポイント、100ポイント貯まると100円と交換できます。息子はポイントを稼ぐためお手伝いをし、ポケカの購入費用にあてたいのでしょうが、お手伝いの本質(それってなに)をすっ飛ばしているような気になり、朝からとてもモヤモヤしました。そして私は家事をしていますがポイントもらえてないよ!!とも思ったり。母さんだってやってるのに何ももらえない!もはや違う怒りになってきました。

 

大変そうなお母さんを助けるから手伝うという気持ちはなく、ポケカの購入費用を稼ぐ息子となってしまい、なんだかイライラモヤモヤしました。でもポイント制がなくなるとお手伝いしないし、困っていたら助けるという感情は欠如しているのでしょうか。最近態度も生意気だし。朝は気持ちよく学校に送り出すことができませんでした。

 

気が向くと玉子焼きを作ってくれる息子ですが、お手伝いの声掛けって難しいです。背中を見て!と思っても見てないし、やってといってもやらないし。理想は動いているお母さんを見て気づいて動く、ですが、そんなうまくいくことはありません。

「ツユクサナツコの一生」は泣ける名作で繰り返し読んでる

今週のお題「名作」

 

ツユクサナツコの一生」がとても良いです。名作です。分厚い漫画ですが、読みやすく益田ミリさんのさっぱりとした絵柄が余計にしみます。子どもにも読ませましたが、私ほどの感動はありませんでした。が、私世代アラサー、アラフォーには染み渡るはずです。何度も読んでその良さや深みを痛感し共感し、涙がでます。一度読んだときより二度目、三度目がしみます。内容を知っているからこそ泣けます。

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私は結婚して子どもがいて実家を出ていますが、これを読んで1人実家に帰りました。実家にひとり帰ったのは初めてで、いつもは子どもも連れていきます。でも子どももう小学校高学年。友だちと遊んだりゲームをしたり、自分の時間を過ごすほうが忙しく、おばあちゃんの家というのはさほど魅力に感じないようです。そうだ、帰りたいのは私で、1人で行けばいいじゃないかと一念発起し日帰りで帰りました。

 

もう何をしたってのんびり実家で午前中を過ごし、母も私もずーっと話をしたり聞き役をしたり。母がヴィダルサスーンのシャンプーがもう売っていないというので、その代わりになるシャンプーを探しに行ったり、帰ってきて父と母と私でアジフライを昼ご飯に食べて。本のナツコを思い出し、「私が独身だったら昼ご飯こうやって3人で食べてたかもね」と言うと「ほんとだねー」と母は笑っていました。

 

母が私の肌がキレイと褒めてくれ、つかさず私も「お父さんもお母さんもキレイだよ」とお世辞抜きで返し、それで3人でハッハッハと笑いました。午後は、母が最近できて気になっていたという喫茶店に母と行き、珈琲とケーキを頼んでまたおしゃべりしていました。父にお土産にドーナツを買い、家に帰って、そのまま私はとんぼ返りしてきました。

 

ツユクサナツコが私を1人実家へ帰る幸せを与えてくれた気がします。もう身軽身軽。子どもが生まれたばかりのときは、車で片道1時間半の距離が遠く、何度もコンビニの駐車場に寄ってはおっぱい休憩をとったりおむつ交換休憩をとって、2時間半くらいかかっていました。おむつも荷物もたっぷり車に詰めて。駐車場で大切なおしゃぶりを隣に停まった車の下に落としてしまい、その車が動くまで出られないということもありました。

 

色々思い出しますが、一人で実家に帰れるなんて、本当子どもの成長を実感します。あと、いつも子ども子どもと私は子ども優先に生きてきましたが、自分優先でもいいんだと思えました。最近は特に、子供の世界が広がり、親の拠り所としての存在感は大事だけれど、私も私で我慢せず楽しく過ごすやりたいことをやるっていうのは、精神衛生上とても良いと実感しています。子どものためと思って私が我慢して何もやらないのは、ただただストレスになるだけなので。私がこう考えるようになったのも、わが子の成長があったからと思っています。

 

ツユクサナツコの一生」は、自分とか家族とか生きるとか死ぬとかそういうのを考えさせてくれます。あと、見下すという行為は絶対する人になりたくないと思います。

 

 

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SODAって知ってますか?

SODA(ソーダ)という言葉をご存知でしょうか。聞こえない兄弟がいる子どものことをソーダと呼びます。最近ドラマや映画の影響でCODA(コーダ)は認知度が上がってきた気がします。*CODAは、聞こえない親を持つ聞こえる子どものことです。

 

わが家の場合、息子はSODAです。聞こえない兄弟をもつ聞こえる子どもなので。子どものころから私は聞こえない子と聞こえる子どちらにも手話を使っていたため、聞こえる息子はよく手が動き、手話を使っていました。保育園で初めて話した言葉は手話で「つみき」で、保育園の先生が「息子くん、声は出ないんですが手でこうしていました(手を重ねるような仕草)。これはどういう意味ですか?」と聞かれ、「つみきの手話です」と答えたことが印象に残っています。息子は家で声も出ていましたが、緊張があったのか保育園で初めての言葉は手話でした。先生は言葉を声で発さないことを心配してくれていましたが、私はしっかり手話が入っている!とそれを聞いてうれしくなったものです。0歳から保育園に通っていたので、いつの間にか保育園では古株となりべらべら喋るようになりました。

 

今も変わらず息子は娘に分かるよう話をしてくれますが、最近「兄弟が聞こえないって言いたくない」と言っていました。友達には聞こえない兄弟がいることを知られたくないようです。私はそこで、「聞こえないって恥ずかしいことじゃないよ、みんな違ってみんないい」みたいな話はせず、「そうか、そういう気持ちもあるよね。言いたくないなら言う必要ないし、伝えたいと思ったときに言えば?」と受け止めました。普段は兄弟同士支え合うこともあり、私のいないところでも息子は娘を助けてくれています。でも、周りの目が気になるようになった思春期の今、色んな感情があるんだろうと思います。それ自体悪いことだと全く思いません。私自身、病気や障害は受け入れることに時間がかかるものであり、そこからどうやって理解を深めていくかを知っているからです。

 

みんなちがってみんないい、みんな平等、みんな同じ、みたいな話は理想論だとまではいいませんが、違いを知ったからこそ言える言葉でもあるし、そういう経験や感情があるからこそ言える言葉には重みがあると思います。なんの理解もない人が平等を謳ったところで、綺麗事な気もします。

 

不言実行で、息子は本当によく気づき助けてくれます。

 

チョコレート嚢胞手術後1年4カ月、生理と無縁の日々を過ごす

チョコレート嚢胞術後から1年4カ月が経ちます。先日、3カ月に一度の定期検診に行ってきました。私は手術で右卵巣と卵管を切除しましたが、左の卵巣は残っています。なので、残っている卵巣や子宮にはまた子宮内膜性ができるリスクがあるわけで、今もジエノゲストというホルモン治療薬を朝晩飲んでいます。エコーの結果特に問題はなく、薬の服用を続けるということになりました。

 

先生が毎度代わるので、それ自体色んな先生に診てもらって問題ないなら安心とポジティブに捉えるようにしています。が、薬の処方については先生によって見解が異なります。「状態がいいなら薬の回数を減らしましょう」という先生もいれば、「副作用がないなら閉経まで薬を続けましょう」という先生もいて、どっち?という感じです。結局薬を勧める先生が多く、もう1年4カ月ジエノゲストを飲み続けています。

 

体調はと言うと特段薬による影響を感じることはなく、普通です。性欲減退というのはあって凪のような状態が続いていますが、大きな問題となることはなく。一度先生に相談したことはありますが、そういうのはあるかもしれないという答えで、特に解決策はありませんでした。性欲減退するから薬やめましょうという判断になるわけもありません。長いこと生理を止めているので、それによる体の負担がなくなったのは大きいです。

 

この前友人が「今生理中で.....」と話をしていたとき、私は生理と無縁の1年を過ごしているなと感じました。生理になるかも、ナプキン買わなきゃとかそういうのは全くなくなったからです。一般的に、女性が生涯で子どもを産む数が減っていますが、そうなると生理の回数も格段に増えます。すると子宮や卵巣にも負担があるので、生理をコントロールするのは良いという風潮が最近ありますね。とても同意です。私は2人の子どもに恵まれ、今後妊娠は考えていないので、生理を止めるというのは、自分の体にとってプラスであると思えます。

 

ジエノゲストを長く続けるというのは一抹の不安はありますが、定期検診で診てもらっているし、体の負担も考え、今後も飲み続けていくものと思います。

お弁当は子どもの気持ちのバロメーター

今週のお題「お弁当」

お弁当を作り続けて10年以上経つ。子どものお弁当を1歳くらいから作り始め、徐々に回数が増えてもう10年になる。お弁当作りが大変とか、面倒とか、そう愚痴をこぼす人がときどきいるが、私にとっては日常になっているので苦でもないし楽でもないし、自分の一日の負担になることはない。作らなきゃいけないところに通っているなら作るし、作らなくていいと言われたらはいそうですかと止めるような感じである。

 

10年も作り続けているとお弁当づくりのコツも出てくる。お弁当のための調理というのはほとんどせず、夜作ったものをお弁当にとっておいたり、朝ご飯とお弁当のおかずは並行して作ったりする。夜のカレーがお弁当になることもあるし、朝のお味噌汁がお弁当になることもある。なんでもいいのだ。子どもはほとんどきれいに食べてくれるのでありがたい。

 

いつもきれいに食べてくるお弁当だが、食べられない時期があった。コロナが流行り始めたころ、クラスターがいちいちニュースになっていたときだ。近所の高校でクラスターが発生し、子どももそれを知る。学校では黙食、飛沫は危険という状態で、ついに近所の学校でクラスターが発生したことで、子どもはお弁当を食べられなくなってしまった。学校で何かを食べるというのが怖くなってしまったようで、お弁当を小さくしましょうと担任の先生にもアドバイスをもらい、小さいお弁当に変えたことがあった。小さいお弁当でも残すことや手を付けられないこともあったが、徐々に食べられるようになり最後には元のお弁当の大きさに戻った。

 

それから数年たち学校の委員会などを任されるようになった娘は、「今日は昼休み委員会があるからおにぎりにして」「早く食べ終わるようにしたいから少なめにして」と注文をつけるようになった。成長したもんだ!

 

子どもがお弁当をきれいに食べてくれるとうれしいし、残すと何かあったのかなと心配になる。お弁当は子どもの気持ちや様子を表すバロメーターになっている。

手話サークルにはなぜ高齢女性が多いのか

何かに属すると役割も求められるわけで、楽しいだけのいいとこ取りはできないなというのをしみじみ感じる手話サークル。手話を使ったりろう者と話をするのは楽しく、私自身聞こえない人への配慮にも目が届く。でも、通っている手話サークルはただ手話を学ぶだけではなく、地域のボランティア参加やイベントの出席なども求められ、子どもがまだ手がかかる私にとってはなかなか負担である。最近思うのは、私はずっと独学で手話を学んでおり、子どものため自分のためと続けているが、地域のボランティア参加には時間的にも気持ち的にも厳しいなと感じる。心の余裕も時間もその域に達していない

 

手話サークルに子育てが終わったくらいの女性が多いのは、この辺も理由だろうと思う。平日昼もしくは夜に参加でき、地域貢献にも積極的。私のような小学生の子どもがいる年代は、平日昼は仕事をしていたり、夜は子どもの育児家事に追われていて参加するというのがまず難しい。土曜日のイベント等は子供の行事や習い事、家族で出かけたりというのがありそちらを優先したい。そういうのがあるからだ。

 

わが国で公的な手話通訳制度が、手話奉仕員養成事業として始まったのは 1970 年のことです。「聴覚障害者福祉に理解と熱意を有する主婦等」で、手話サークルで手話を学んだ者を「手話奉仕員」として養成することから始まりました。

出典:厚生労働省 令和 2 年度障害者総合福祉推進事業

 

元々手話の普及自体、上記のような歴史もあり圧倒的に女性が多い。一般的に手話サークルは9割が女性。そして子育てが終わって時間がある人の参加が多い。若い人というのはほぼいない。私と同世代の人は仕事に育児に時間がない。

 

独学で手話を勉強していて、ふと時間ができて手話サークルに参加して、一緒に勉強する人がいて楽しいとかろう者との交流が楽しいと思っていたが、サークルにはイベント参加や準備などの義務もあるわけで、それが時間的に難しい私には義務を果たせず申し訳ない居心地の悪い空間となってきてしまった。

 

私がやりたいのは手話の勉強ろう者との交流で、それをわが子とのコミュニケーションや自分に活かしたいというのが目的だった。まだ自分の住む街全体へのボランティアとか福祉にまで興味や熱量が及んでいない。だって自分の子どもを育てることが最優先だから。

 

義務と権利とかそこまでの話ではないが、コミュニティに属するのはなかなか難しいなと感じる。