わたしと子どもの備忘録

育児、聴覚障害関連エピソードを載せています。

スプラ甲子園ライブ配信に字幕をつけてほしい

スプラ甲子園なるものがあるらしく、ライブ配信を子どもがかじりついてみている。全国からスプラ好きの小学生や大人が集まって開催される甲子園のようだが、こんなものがあるのねと感心する。が、字幕がない!全く楽しめません。ゲーム実況や、各チームの紹介など、同い年くらいの小学生が活躍していますが、字幕がない!!

 

自動生成でもいいから字幕をつけてほしいです。任天堂にもご意見だしましたが、字幕がなく置いていかれる聴覚障害者がいますよー。音声や音楽が流れていることすら気づかないので、聞こえる身としては残念で悲しくなります。

 

スプラ甲子園にぜひ字幕を!!!

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ストップ!で家事育児のイライラを乗り越える

最近読んだ本で、『イライラを収めるには「ストップ!」と声を出し手をパチンと打ち、物理的にもう強制終了するといい』というのを読んだ。もやもや答えの出ない悩みがあるときや、イライラが抑えられないというときに有効だそう。私がイライラするのは家族のささいな出来事が多いが、どうにもこうにも怒りが収まらないときはパチンと手を叩く余裕すらない。怒りがふつふつ湧いてきて爆発してしまうので抑えようがない。

 

なので、今のところ使えるのは少しのイラくらいのときである。子どもに口答えされたときとか、もやもや自分で悩んでいるときなど。そういうときにたまに「ストップ!」と声に出してパチンと叩いている。このイライラ抑止法を子どもたちにも教えたが、子どもは使う様子がない。なので、私が「ストップ!」と言っていることが子どもにとっては「あ、お母さんイライラしてる」のサインになってしまっていることも多々ある。圧っぽい。

 

本によると、この「ストップ!」は自分で言うのもいいし、他人に言ってもらうのもいいという。悩んでいるときやイライラしているとき、身近な人に「ストップ!」と言ってもらえることで我に返って心が落ち着くという。そういうのもあるんだー、と思っていたが、この前いざ息子に「ストップすれば」と言われたときは3倍腹がたった。

 

息子の言動でイライラし、私の発言にも嫌味が加わり、でもストップ法なんて忘れているというとき、息子がふと「ストップすれば?」と言ってきた。こうなると本によれば一件落着になるが、そうなるはずもない。息子の「ストップすれば?」が火に油状態となりカーッとなったが、私はぐうの音も出ず言い返す言葉もなかった。

電車のアナウンスは聞こえない人には聞こえていません

電車がまた遅延して聞こえない娘が路頭に迷った。娘は1人電車通学をしている。強風による遅延の連絡、ホーム変更の情報提供が声のアナウンスのみで聴覚障害者の娘がまた困った話。

 

その日はいつもの時間の電車に乗れず、強風のため電車が遅れていて、反対側のホームに電車がきたという。夕方の時間は、上りと下りが混在しているホームなので、必ず行き先を確認するよう伝えているし、娘はそうしている。でも、その日は時刻表通りに電車は来ず、電光掲示板も真っ暗になっていた(写真で送ってもらった)。私がネットで電車の遅延情報を確認しても、「通常運行」となっており、Xにも遅延情報はない。スマホで連絡を取り合っているときは、ポンポン返事が来ていたのでそこまで不安がっているとは思えなかったが、待ち合わせの駅で会うと娘は私の姿を見るなり号泣して動けなくなってしまった。

 

聞くと、いつもと反対側のホームに電車がきたがなかなか発車せず、なにかモゴモゴとアナウンスが流れているのは分かったが何を言ってるのかはわからない。電光掲示板にも表示がない。心配になってその電車を降り、次の電車を待つも電車の遅れが続いていて、時刻の表示もなく、ずっとホームで待ちぼうけだった。

 

待った時間は30分だが、帰宅ラッシュの時間で、わからないアナウンス、発車しない電車に混乱し、あわてて降りてしまったのは仕方なかったろう。もう怖くて心配で涙がこぼれたと言っていた。少しの遅延情報は、ネットに表示されないこともあるが、なんとか聴覚障害者にも情報を届けてほしいと思う。こえとらとか、UDトークとか、声を文字に変える音声アプリがあるが、あれは電車のアナウンスまで文字にはしてくれない。当人がその場にいるときのみ声が文字になるので、街なかで聞こえるアナウンスが文字になるわけではない。

 

焦って半泣きで周りの知らない大人に聞こえない子どもが助けを求められるかというと、それはもう相当なハードルで、娘も聞いてみようと試みたがみんなスマホをいじっていて声をかけて言いのかわからなかったという。なんかもう色々重なって本当に大変だったね、よく耐えたね、としみじみ感じた。

 

知り合いのろう者に、こういうときどうするのか聞いたら、「周りの人の動きを見る」と話していた。周りが電車を降りるようなら自分も降りて、というのを判断するそう。情報が受け取れないからそうするんだろうけど、理想は自分で情報をキャッチして判断して、動けるというのがいい。

 

忘れた頃にこういうことが起きるが、友人に言うと「自分だったら変わるまでJRに言う」と強気発言をしていたので、相変わらずJRに訴えています。ご意見ありがとうございます、検討しますの返答ですが。

 

moekk.hatenablog.com

おいしいと言葉に残さぬ子どもたち

子どもの友人たちが遊びにくれたのでお昼にミートソースを作った。黙々とみんな食べてくれたけど誰も何も言わない。おいしいのか、おいしくないのか、作った身としては少し感想くらい欲しいもの。会話はあるもののミートソースに対してなんの評価もないまま、みんなきれいにごちそうさま。ということがあった。

 

翌日、「みんな黙って食べてたけど、おいしかったのかおいしくなかったのかどうだった?なんの感想もないから寂しい気持ちになった」とわが子たちに伝えると、息子が「おいしかったからみんな残さず食べたんでしょ」という。ああそうだね。たしかにみんな残さず食べてくれたからそれが答えってことか、と納得。

 

でもまた誰かの家で何かをごちそうになるとか、そういうときがあるかもしれないから「おいしい」とかそういう一言があると作った人はうれしいものだよ、というのは伝えた。

 

「おいしくない」「これ苦手」「またこれか」とか文句はたくさん言うくせに、あまりおいしいって言ってくれないのは張り合いないんだぞ、という話。

 

公園に自動販売機が設置されて息子がそわそわしている

最近、近所の公園に自動販売機が設置され、息子がそわそわしている。私自身自動販売機で飲み物を買うということはあまりないので、子どもたちにもそれを推奨していない。だって高いし。のどが渇いたら家に帰ってこいという話をしている。お金を持っていこうとするときもあるので、断固阻止している。息子一人飲んでいるのも嫌だし、奢り奢られなんてことが起きたらもっての外だし、自動販売機が一台置かれただけで、子どもにとってこんなにも誘惑になるんだと驚いた。

 

公園に行くと「ここに自動販売機がある」と連れて行かれ、どんなラインナップかを説明してくれた。何の変哲もない自動販売機だけど、いつも遊ぶ公園にお金を払えばジュースがでてくる機械が置かれたことで、小学生男子からすると「わくわくが止まらねぇぞオイ!」な感じなんだろう。

 

先日近所のキャンプ施設でバーベキューをしていたときに、あまりに寒いのでそのバーベキュー場の自動販売機で温かいコーンスープを買おうとした。でも見事に売り切れていて「温」のつく残っているのは缶コーヒーしかない。これは残念だね諦めようと言うと、「あそこの公園の自動販売機なら温かい飲み物がある」と息子が言う。まさかバーベキュー場を出て、わざわざいつもの公園に行き温かい飲み物を探しに行くなんて発想、どれだけ公園の自動販売機魅力的なんだ。

 

お母さん行かないよ、というと「おれ自転車で買ってくる。温かいの探してくる」というので、300円を渡すと一目散に目的の自動販売機に向かって自転車で爆走していった。バーベキュー場を出てまであの自動販売機に行きたいなんてどれだけだと熱量にも驚いたが、「いつもは買えない自動販売機なのに今日はお母さんが買おうとしてる!」と息子センサーは見逃さなかったんだろう。

 

結局息子は2本カフェラテを買ってきてくれて、娘もおいしいあったかいと飲んでいた。寒がっていた娘も、本当にうれしそうだった。息子にも、「おかげでみんな暖かくなったね。買ってきてくれてありがとう」というと満足そうだった。これで自動販売機熱も少しは落ち着くかな。

 

鰻愛謳歌: 特上の贅沢散歩日

大学生時代にとてもお世話になった先生と今も仲良くしてもらっていて、大学を卒業してからも社会人になってからも結婚してからも出産してからも定期的に会って散歩を楽しんでいる。この上なく美味しい食事をして散歩をして珈琲を飲んでケーキを食べるという、最高に贅沢な時間を過ごす日というのを定期的に作っている。

 

先生はメニューを私には見せずに鰻の「特上2つ」を頼み、鰻が3枚のったお重に悪戦苦闘して小休止をとる私を横目に、ぺろりと平らげる。外は寒いのにお店の中が温かくて、できたての鰻を山椒たっぷりかけて一気に食べるものだから体も熱くなり、まだ鰻は残っていてでも残すわけにはいかないと、私は水を頼む。特上の鰻にはたっぷりのお新香と肝吸いもついてくる。残念無念と少しのお新香と肝吸いを残してしまった。お重は平らげました。

 

お店を出てから、「さすがですね」というと、「さすがに特上はボリュームありますね」という。この前違うお店で鰻を食べたとき、折りたたまれた特上鰻に蓋を開けた瞬間感動したけど、「やっぱり鰻の量はほどほどがいいですね」と話したところだったのに。お重の蓋を開けたら食べ切れると思ってしまうんだよな、私の胃。

 

学士会館が2024年末で閉館になり、2029年に再開するというのを知った。「5年間経過を見届けないとですね」というと、先生は「5年後となると私はあっちに行っているかもしれないから、見届けは頼みますね」という。そのときズドンと5年の重さを感じた。5年後というと、子どもは中学生で人生上り調子青春真っ只中だし、私も夫もアラフォー。でも親より年上の先生は、今年米寿を迎え5年後は93歳になっている。さすがに90を過ぎて今と同じように特上を食らい、あてもなく散歩ができるかというと、かなり怪しい。とても心配になって泣きそうになって、子どもに話すともっと泣きそうになって変な顔をしながら話していた。そしたら娘が泣いていた。

 

5年後の学士會舘を見届けるのはとりあえず考えないようにして、花粉が落ち着いた5月に会うことにした。会いたい人には今のうちに何度でも会っておかなきゃいけない。

 

学士会館再開発事業及び当館の一時休館のお知らせ - 学士会館

神保町の移り変わりを切り取る

今週のお題「小さい春みつけた」

 

神保町が好きすぎる。学生時代に通ったことがもちろん理由だが、古い喫茶店鰻屋さん、美味しいお店や路地がたまらなくいい。都会の人は歩くというが、1時間もふらふら歩いていると竹橋に行ったり小川町に行ったりあっという間に駿河台だ。

 

今でこそ田舎に引っ込んだが、学生時代とか若い独り身のときにあの辺に住みたかったなと思う。その時はそれだけの家賃が払えないけれど、飽きないし街歩き好きとしてはたまらない。また春になってきて日陰は寒いが日向は暖かいので、コートも脱いでお散歩できる。ランチタイムの時間と重なっていたので、ランチを探しに街へ出るサラリーマンが上着無しなのもよい。白いシャツや春色カーディガンで街横断歩道を渡っており、ああ春だなと思う。

 

突然どかっと大きな商業施設ができていて、こんなスペースあったのと驚いたが、某大学が移転してできた跡地らしい。新しい建物が出来ると、昔あったものが記憶からなくなってしまうのなぁぜなぁぜ?

 

炭問屋を見つけたり、お神輿が飾ってあったり、新しいビルだらけになってしまったが突然残る古い建物が肩身狭く残っているのもいい。でもこういう建物は数年後にはなくなっちゃうんだろうなと写真を撮った。耐震や再開発でどんどん生まれ変わる神保町。寂しいけど街も生まれ変わるんだなーと肯定的に楽しんでいます。

 

学士会館もなくなってしまうそうで悲しい。ラタンや二色、美味しいお店はどこのビルに入るんだろうと気になる。重厚な赤絨毯、大理石の床、抱きつけるほどの柱、ああいう建物は残してほしい。