わたしと子どもの備忘録

育児、聴覚障害関連エピソードを載せています。

SODAって知ってますか?

SODA(ソーダ)という言葉をご存知でしょうか。聞こえない兄弟がいる子どものことをソーダと呼びます。最近ドラマや映画の影響でCODA(コーダ)は認知度が上がってきた気がします。*CODAは、聞こえない親を持つ聞こえる子どものことです。

 

わが家の場合、息子はSODAです。聞こえない兄弟をもつ聞こえる子どもなので。子どものころから私は聞こえない子と聞こえる子どちらにも手話を使っていたため、聞こえる息子はよく手が動き、手話を使っていました。保育園で初めて話した言葉は手話で「つみき」で、保育園の先生が「息子くん、声は出ないんですが手でこうしていました(手を重ねるような仕草)。これはどういう意味ですか?」と聞かれ、「つみきの手話です」と答えたことが印象に残っています。息子は家で声も出ていましたが、緊張があったのか保育園で初めての言葉は手話でした。先生は言葉を声で発さないことを心配してくれていましたが、私はしっかり手話が入っている!とそれを聞いてうれしくなったものです。0歳から保育園に通っていたので、いつの間にか保育園では古株となりべらべら喋るようになりました。

 

今も変わらず息子は娘に分かるよう話をしてくれますが、最近「兄弟が聞こえないって言いたくない」と言っていました。友達には聞こえない兄弟がいることを知られたくないようです。私はそこで、「聞こえないって恥ずかしいことじゃないよ、みんな違ってみんないい」みたいな話はせず、「そうか、そういう気持ちもあるよね。言いたくないなら言う必要ないし、伝えたいと思ったときに言えば?」と受け止めました。普段は兄弟同士支え合うこともあり、私のいないところでも息子は娘を助けてくれています。でも、周りの目が気になるようになった思春期の今、色んな感情があるんだろうと思います。それ自体悪いことだと全く思いません。私自身、病気や障害は受け入れることに時間がかかるものであり、そこからどうやって理解を深めていくかを知っているからです。

 

みんなちがってみんないい、みんな平等、みんな同じ、みたいな話は理想論だとまではいいませんが、違いを知ったからこそ言える言葉でもあるし、そういう経験や感情があるからこそ言える言葉には重みがあると思います。なんの理解もない人が平等を謳ったところで、綺麗事な気もします。

 

不言実行で、息子は本当によく気づき助けてくれます。

 

手話サークルにはなぜ高齢女性が多いのか

何かに属すると役割も求められるわけで、楽しいだけのいいとこ取りはできないなというのをしみじみ感じる手話サークル。手話を使ったりろう者と話をするのは楽しく、私自身聞こえない人への配慮にも目が届く。でも、通っている手話サークルはただ手話を学ぶだけではなく、地域のボランティア参加やイベントの出席なども求められ、子どもがまだ手がかかる私にとってはなかなか負担である。最近思うのは、私はずっと独学で手話を学んでおり、子どものため自分のためと続けているが、地域のボランティア参加には時間的にも気持ち的にも厳しいなと感じる。心の余裕も時間もその域に達していない

 

手話サークルに子育てが終わったくらいの女性が多いのは、この辺も理由だろうと思う。平日昼もしくは夜に参加でき、地域貢献にも積極的。私のような小学生の子どもがいる年代は、平日昼は仕事をしていたり、夜は子どもの育児家事に追われていて参加するというのがまず難しい。土曜日のイベント等は子供の行事や習い事、家族で出かけたりというのがありそちらを優先したい。そういうのがあるからだ。

 

わが国で公的な手話通訳制度が、手話奉仕員養成事業として始まったのは 1970 年のことです。「聴覚障害者福祉に理解と熱意を有する主婦等」で、手話サークルで手話を学んだ者を「手話奉仕員」として養成することから始まりました。

出典:厚生労働省 令和 2 年度障害者総合福祉推進事業

 

元々手話の普及自体、上記のような歴史もあり圧倒的に女性が多い。一般的に手話サークルは9割が女性。そして子育てが終わって時間がある人の参加が多い。若い人というのはほぼいない。私と同世代の人は仕事に育児に時間がない。

 

独学で手話を勉強していて、ふと時間ができて手話サークルに参加して、一緒に勉強する人がいて楽しいとかろう者との交流が楽しいと思っていたが、サークルにはイベント参加や準備などの義務もあるわけで、それが時間的に難しい私には義務を果たせず申し訳ない居心地の悪い空間となってきてしまった。

 

私がやりたいのは手話の勉強ろう者との交流で、それをわが子とのコミュニケーションや自分に活かしたいというのが目的だった。まだ自分の住む街全体へのボランティアとか福祉にまで興味や熱量が及んでいない。だって自分の子どもを育てることが最優先だから。

 

義務と権利とかそこまでの話ではないが、コミュニティに属するのはなかなか難しいなと感じる。

 

スプラ甲子園ライブ配信に字幕をつけてほしい

スプラ甲子園なるものがあるらしく、ライブ配信を子どもがかじりついてみている。全国からスプラ好きの小学生や大人が集まって開催される甲子園のようだが、こんなものがあるのねと感心する。が、字幕がない!全く楽しめません。ゲーム実況や、各チームの紹介など、同い年くらいの小学生が活躍していますが、字幕がない!!

 

自動生成でもいいから字幕をつけてほしいです。任天堂にもご意見だしましたが、字幕がなく置いていかれる聴覚障害者がいますよー。音声や音楽が流れていることすら気づかないので、聞こえる身としては残念で悲しくなります。

 

スプラ甲子園にぜひ字幕を!!!

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電車のアナウンスは聞こえない人には聞こえていません

電車がまた遅延して聞こえない娘が路頭に迷った。娘は1人電車通学をしている。強風による遅延の連絡、ホーム変更の情報提供が声のアナウンスのみで聴覚障害者の娘がまた困った話。

 

その日はいつもの時間の電車に乗れず、強風のため電車が遅れていて、反対側のホームに電車がきたという。夕方の時間は、上りと下りが混在しているホームなので、必ず行き先を確認するよう伝えているし、娘はそうしている。でも、その日は時刻表通りに電車は来ず、電光掲示板も真っ暗になっていた(写真で送ってもらった)。私がネットで電車の遅延情報を確認しても、「通常運行」となっており、Xにも遅延情報はない。スマホで連絡を取り合っているときは、ポンポン返事が来ていたのでそこまで不安がっているとは思えなかったが、待ち合わせの駅で会うと娘は私の姿を見るなり号泣して動けなくなってしまった。

 

聞くと、いつもと反対側のホームに電車がきたがなかなか発車せず、なにかモゴモゴとアナウンスが流れているのは分かったが何を言ってるのかはわからない。電光掲示板にも表示がない。心配になってその電車を降り、次の電車を待つも電車の遅れが続いていて、時刻の表示もなく、ずっとホームで待ちぼうけだった。

 

待った時間は30分だが、帰宅ラッシュの時間で、わからないアナウンス、発車しない電車に混乱し、あわてて降りてしまったのは仕方なかったろう。もう怖くて心配で涙がこぼれたと言っていた。少しの遅延情報は、ネットに表示されないこともあるが、なんとか聴覚障害者にも情報を届けてほしいと思う。こえとらとか、UDトークとか、声を文字に変える音声アプリがあるが、あれは電車のアナウンスまで文字にはしてくれない。当人がその場にいるときのみ声が文字になるので、街なかで聞こえるアナウンスが文字になるわけではない。

 

焦って半泣きで周りの知らない大人に聞こえない子どもが助けを求められるかというと、それはもう相当なハードルで、娘も聞いてみようと試みたがみんなスマホをいじっていて声をかけて言いのかわからなかったという。なんかもう色々重なって本当に大変だったね、よく耐えたね、としみじみ感じた。

 

知り合いのろう者に、こういうときどうするのか聞いたら、「周りの人の動きを見る」と話していた。周りが電車を降りるようなら自分も降りて、というのを判断するそう。情報が受け取れないからそうするんだろうけど、理想は自分で情報をキャッチして判断して、動けるというのがいい。

 

忘れた頃にこういうことが起きるが、友人に言うと「自分だったら変わるまでJRに言う」と強気発言をしていたので、相変わらずJRに訴えています。ご意見ありがとうございます、検討しますの返答ですが。

 

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子どもが悪口を言われたら

子どもが習い事で嫌なことを言われたと気を落として帰ってきた。子供が笑っていると私も嬉しいし、悲しい顔をしてると私も落ち込む。聞くと、片付けをしている時にわが子が物を落としてしまい、「バカが」と言われたそうだ。それでどうしたの?と聞くと「バカはおまえだ」と言い返したと言う。グッジョブ。言われっぱなしの子になってほしくないし、言い返せた度胸に拍手。子ども同士なんだから我慢しなくていいし、ましてやわが子は悪くなく理不尽な「バカが」に対して悲しく落ち込む必要もない。でも子どもは落ち込んでいて、翌日の習い事に行きたくないという。

 

その日の夜、言い返せたことを褒め、またなにか言われた場合どういう切り返しがいいのか弟も含め話しをした。口が達者な弟は「そういうときは『黙れクズ』っていう」という。さすが息子、バカの3倍返しくらいの威力がある。他にも、「バカっていうやつがバカだ」「カバっていってしりとりを始める」「なんでバカなんですか?」とか、色々でた。弟から出る悪口のオンパレードに舌を巻いた。

 

私は何が言いたいかって、言われっぱなしは嫌だし、そういう経験はこれから先いくらでもするということだ。理不尽なことを言われたり、バカにされたり、そいうことは大人になってもあるわけで、でもそういうのにヘコタレてほしくないのだ。言い返すくらいの負けん気があると自分を助けてくれるし、言われてその場で深い傷を負ってほしくないし、そのくらいだったら「バカ」と言われたら「おまえがな」くらいの切り返しは出来るようになってほしい。小学生中学生の間は。私も小学生の時は嫌なこと言われたよと話すと、笑いながら聞いていた。それでいいのだ。誰も悪口陰口を言わない世界など存在しないし、どうしても言われることはあるし、私に相談してくれてよかった。

 

翌朝、足が痛いと訴えてきた。バカと言われたことが原因なのだろうが、これで習い事を欠席すると傷が残りっぱなしだし、「相手も忘れてるだろうから行けば?」となんとかその日習い事に行った。

 

お迎えに行った時、行きなと送り出したもののまた嫌なこと言われたりしてたら辛いよなと思っていたところ、晴れやかな表情で帰ってきた。聞くと、「終わるときに『ひどいこといってごめんね』と謝ってくれた」という。なんてうれしい結末。ええ子やんけーと私が嬉しかった。わが子は「自分も言い返しちゃったから私も悪いと思った」と言う。わが子もええ子やー。

 

謝ってくれて、余計に仲良くなったそう。やっぱり休まずに習い事に行ってよかった。そうしなかったらその子も謝る機会をなくしていただろうし、わが子ももやもやを抱えた欠席になっていただろうから。

 

私は必死に言い返す言葉を探していたが、杞憂だった。子どもって偉い。相手にダメージを与えるひと言を考え抜いた前日を恥じた。

インフルエンザが止まらないッ

年末に息子がインフルエンザAになり、看病していた私ももらい、それからすこぶる体調がよくありません。頭痛、膝痛、やっと落ちついてきたところで、今度は娘がインフルエンザBになり絶賛治療中です。

 

保育園でも息子がよくインフルエンザをもらってきて、それが娘に移り、私に移りを繰り返していました。小さなお子さんがいるご家庭ではあるあるかと思いますが、終わりのない待機期間に心が折れそうになります。私は待機期間というのはしっかり真面目に守るものと思っており、インフルエンザを初めとする感染症にはうつさないことを第1目的として行動しますが、そうではない人も多く驚いています。待機期間をまじめに守ってるのって私だけなのかとさえ思えてきます。

 

年末に息子がインフルエンザAをもらってきたときも、「なんでかかちゃったのかな」と聞くと、「今日の全校集会の時、隣の〇〇が『おれインフルで昨日まで熱高くて大変だったんだよー!今日は下がった』って言ってた」と言っており、おい待機期間はどうしたんだい、というツッコミが入ります。

 

この前も、今日インフルBになったという友だちのために子どもがお便りを届けると、「お腹いたくて吐いて大変なんだよー、熱も超出た」という友だちが、翌日家に「遊ぼー!!」と遊びに来ました。おいおいおい待機期間はどうしたんだい!!っていう。世の子ども、もしくは親御さんというのは待機期間を守らないものなのでしょうか。はて。

 

そして今回のインフルBですが、子どもに「学校で流行ってる?」と聞くと、「金曜日クラスの〇〇が教室で吐いた。顔が真っ青だったけど早退しないで最後までいた」といいます。家の都合もあるし、保健室の都合もあるんでしょうし、それぞれの事情ももちろん理解できますが、嘔吐して真っ青な子どもは家に帰って休んでくれ!!と思います。結局翌日子どもは発熱し嘔吐しました。

 

独身時代仕事をしているときは、今ほどインフルエンザの脅威というのは感じませんでした。でも、保育園や小学校のインフルエンザ率というのは半端ないです。子どもがもらい、家族にうつり、一家全滅。毎年インフルエンザの予防接種をしていますが、意味があるんだかないんだかという感じです。

 

みなさまもどうぞお体ご自愛ください。待機期間は守りましょう!

子どもからの悩み相談の答えに失敗

最近、子どもから色々な悩み事を受けます。「悩んでることが2つあって...」と突然始まるので身構えます。子どもがお風呂に入っているときにピロリロリンと呼ばれて行くと悩み相談が始まったり、食事の時や寝る前に布団に入ったときに始まるときもあります。私もそうですが、悩みや愚痴をだれかに言うときは、その相談を肯定してほしいことが多く、本当の解決策など必要ないこともあります。そうだね、大変だよね、とウンウン聞いてくれるだけで、心がすっとすることは多いです。

 

最近では私は膝が痛いのですが、これを常々聞いている家族はもう聞き飽きていて、誰もあまり心配してくれません。でも母に電話したときには熱心に聞いてくれるとそれだけで嬉しいし、娘から「病院の結果どうだった?」と言われると、「心配してくれてありがとう」となります。

 

なので、子どもの悩み相談は極力聞いてあげたいし寄り添ってあげたい、そう思っていますが、こちらもバタバタいそがしかったりすると、あまり良い回答者、聞き役になれないこともあります。

 

この前食事の時、「同級生がもっとほしい」と悩みを打ち明けられました。ろう学校というのは、聴覚障害がある子どもが通う学校です。普通学校でもやっていけそうな聴力の子もいるし、ろう学校でのフォローが必要な子もいるし、そこは親子の判断でろう学校への通学を決めるわけです。補聴器や人工内耳をしていて普通学校に通っている子というのは、親子で相談した結果、聴力が見込める、聞こえる子の中に入ってもやっていける、性格、将来、色々見込んでの選択をしたということです。

 

その辺を私達家族も考え、子どもはろう学校へ通学していますが、同級生は少ないです。普通の学校では30人前後のクラスメイトがいますが、数人ということは多いです。だから他の学年とも仲良くなるし、絆は強固だし、少ないからこそのメリットもあるかと思います。でも、やはり同級生が少ないというのは寂しいようで、「同級生がもっとほしい」という悩みになったのだと想像できます。そこで私は「習い事に同級生いるから、そこで話せばいいじゃない」と、全く的はずれな解決策を提示してしまいました。子どもの反応は、「あー、もういいやこの話。これで終わり」とシャットダウンでした。

 

しまった!解決策なんかいらなくて、話を聞いてあげないとだ!と子どもに平謝りしましたが、「もう話す気なくなっちゃったし、もういいよ」と言われてしまいました。いつもああ言えばこう言うと応戦してくるのに、私の発言によって引かせてしまい、せっかくの悩みの糸口もぶっちぎってしまって大いに反省しました。

 

結局その後も娘はそのことについて話してくれなかったので、これ以上聞くのはやめました。

 

悩みを打ち明けてくれるのは嬉しいし、日々小出しに悩みを出すことは大切だし、自分がそういう存在に慣れているのはよかったと思います。が、日常にふいに悩み相談が出る時、うまい返事や回答ができなくてしくった!!と思うことが多いです。寄り添って話を聞く、ではなく、なんとか解決させようと解決策を提示してしまうのは私の悪い癖です。受け止める、ただ聞く、そうすると自ずと心も落ち着いてくるんだよなと自分を戒めています。