わたしと子どもの備忘録

育児、聴覚障害関連エピソードを載せています。

子どもの「欲しい」は往々にして一時的なものである

9歳の息子の物欲がものすごく、何を見てもほしいという。スーパーのガチャガチャはもちろん、誰かが持っている何か、ペットショップで見たトカゲ、メルカリに出ている嘘か本当かわからないレアカード。なんでも欲しがる。当たり前に全部は買ってもらえないので、だめもとでほしいと言っていうのかというとそうではなく本気で欲しがる。

 

この前「千と千尋の神隠し」を見ているとき、オープニングで花束を抱える千尋を見て「おれも花束ほしい...」と言った。これには驚いた!ジブリ映画の中にまでアンテナを張っていたなんて!と。欲しい理由は「俺は花束もらったことないから」という。

 

確かに花束なんて貰う機会はないし、でも私も昔エレクトーンの発表会で部活の顧問が不意に立派な花束を持ってきてサッと渡してくれたときは、びっくりして嬉しくて印象に残っている。

 

9歳だけど花束はほしいのか、とやけに印象に残り、昨日イオンの中の花屋さんでお手頃な価格の花束を見つけ、買った。息子が返ってくるやいなや「お疲れ様!」と花束を渡すと、「え!ありがとう。でもこれから遊びに行くから」と持ってくれる様子もない。せっかく買ったんだから持ってよ、といい写真を撮る。その後花瓶に入れたり、茎部分の長さを整えたり、「切り花を長持ちさせる粉」なるものに興味をそそられるかと思いきや、トイレに行ってそのまま出かけてしまった。

 

やはり子どものほしいっていうのはこのレベルなんだと思った。「俺花束もらったことないからさ」の言葉が刺さり、千尋が持っていたようなピンクのカーネーションをあげたが、そんなもんだった。

 

今朝学校に行くときに、「この花見てる?欲しいって言ったから買ったんだよ」と言うと、「おれは玄関に立つたび見てる。このお花にいってきます、ただいまって言ってる」と言う。本当かよおい。

 

子どもの「欲しい」は往々にして一時的なものである。